先週末のこと、「やっと転居支度を遂行し得た!」との感慨を得た。
最終課題であった最も大切な「所有する絵画をどう配置するか?」が完成したのだ。4月末の転居以来様々な作業に毎週末通ってくれた息子のお陰である。
嬉しい発見もあった。作品の展示位置はわたくしが決めるのだけれど、その作業過程で親子の感覚がとても近いことがしばしば自覚させられたのだった。
心身ともにこんなにも子供の世話になるとは! 正直今まで思っていなかったのである。制限が厳しい1ルームの新居での最後の大作業であった。わたくしはたしか40数年前から、好きな作品を出来る範囲内で入手するようになった。愛着あるそれらの絵画は口腔がんによる半年先の死を覚悟した2020年の秋、もっとも親しく適切と思う人々に10点ほどは贈呈していた。しかしほぼ残していたのである。
当時はできる限りお終いまで我が家で過ごすつもりでいた。けれども幸か不幸か、医師の勧めた療法(キートルーダ受滴)により口腔癌は数ヶ月で消滅し、体力、気力は落ちたが現在に至っているわたくしである。
子供時代から大きな大きな恩を受け、コロナ禍を機に認知症が急激に深まっている姉と、5年ほど前に妻を失い、一昨年の夏に姉を守るように同じ施設へ入居した末弟。無自覚な我儘さでわたくしは弟からも大きく深い恩を受けて来ていた。わたくしとしては思いがけず残された命で少しでも姉と弟の役に立ちたいと思った。
これは現在も一番の指針、生きる希みとしている。
そしてそれは、8年前に逝った2歳下の長弟への思いでもある。わたくしと言う人間は振り返るとこの弟からずーっと妹のように見守られていた。彼は姉弟の中で1番古風な意識の持ち主だったと思う。風変わりなわたくしを、若い時からハラハラと見守ってくれていることはわたくしもずっと気付いていた。ふたり共に若かった結婚前も、最もよく話し合ったのはこの弟だった。
13年前、10日間の闘病で急に夫を亡くした折に陥った、あの言いしれぬ孤独と絶望感。思えばわたくしにとって生まれて初めて本当に独りっきりでの生活が始まった日であった。数年に亘る長く苦しく淋しい思考の中、夫を軸としたさまざまな過去の展開に潜む「わたくしの甘えた我が儘な無神経さ」。深い悔いと共に、やっと本当にそれを自覚させられたように思う。愚かなわたくしであった。
以来わたくしは、間に合わなかった夫(一人っ子であった)・舅・姑には心で詫び、実の姉弟とその家族には心して対応して来たつもりでいる。
少しでも姉弟の役に立ちたい。それは思わぬ生を得たわたくしの一番の希望だ。その希望は、弟が手で支えているスマホを通して聞こえてくる、ほぼ意味不明に連発される姉の言葉。けれども妹との会話であることは自覚していると思える、姉との会話ならざる会話によって保たれている。
「姉はわたくしに向かって話している」そう思いたいし、そう願って成り立ち得ぬ会話を繰り返し交わす日々。弟もわたくしも未だ諦めてはいない。
「お姉さん、喜代ちゃんですよ。お姉さんが大好きですよ。お姉さんが大切ですよ。いつもお姉さんのこと思っていますよ」或いは「お姉さんはとても立派ですよ。長い間世のため人のために尽くして黒崎さんと一緒に知事さんから表彰状を貰っているんですよ」などの言葉を、意味の聞き取れぬ姉の言葉に恥ずかしげなく返す。呼びかける。
みっともなくったって良い。姉の意識、素朴なプライド、生きて来た実感を少しでも呼び起こしたいと藁にも縋る思いなのだ。
子ども時代を過ごした大連についても話す。いずれにも大きな反応は全くない。でも妹と話している感じは確かにある。それを弟と共に小さな救いと悦びとしている。
いけませんね老人の話すっかり逸れました、戻しましょう。そんなわたくしが、3年前には自身が予期しなかった心身の成り行きで有料老人施設への転居をきめ、息子の賛同と協力のもと決行したのであった。38平米の1ルームに所有絵画の全品展示はむろんできない。
絵画の配置完成に向かって息子とともに考慮したこの2週間だった。息子との共通感覚に驚かされ、悦びを得たこの数週間でもあった!! 作品の展示位置に関して無論主導権はわたくしが握っていたが彼の助言も実施も的確に思えた。わたくしとしてはとても嬉しい発見だ。
制約条件の多い壁面に適応する吊り具などを良く調べ、検討の上購入してくれたのである。予想以上の点数を配置し得たのは全く彼のお陰であった。
先週末の夕べ深く、ほぼ完了。それも見事にである!!!?部屋が一挙に格上げされた感じ、美しくなった。落ち着いた華やぎも漂い、この1ルームが我が家になったと思える瞬間を迎えた感じ、、、、、
成功を我がことのように喜ぶ息子と、自画自賛??の素晴らしさを共にかみしめた夜であった。
好きな絵画に守られるこの部屋に愛着を持ち、老い行く身を捉えんとする鬱からの脱却、逃亡・韜晦・超越を心がけよう!