20年近く使ってきた小型スーツケース。先月姉の許に着いた時、遂にファスナーが壊れてしまった。
このスーツケース、フエンディのローマ店で購入したものだ。あれは、初めて10数日に及ぶ単独の長旅にトライした、イタリヤ巡りの折だった。実はずいぶん前からわたくしはフエンディが好き。さりげいオシャレ感が好ましく、こだわってきた愛用ブランドだ。けっこう多種にわたり使ってきた。
久しぶりに思い出された、ローマであの時一緒に求めたザック型バックとの別れ話。
あれはロサンゼルスへの旅、例によって独りだった。現地主催の『グランドキャニオンへ4人乗り小型飛行機による観光』に参加した時のことだ。ロス郊外の、本当に小さな小さな空港から立ち、グランドキャニオンの上空回遊の後、数時間自由散策。再び小型飛行機で帰航といった半日スケジュールであった。
今まで見ることの無かった、圧倒的な自然。想像を絶する大いなるものが、激しく切り立つ岩壁や天地に満ちていた。荒寥と続く断崖絶壁の渓谷。そこに今も住む少数の人々。
かってこの地に住んでいた彼らの先祖たち、すべての生き物達えの想像。機中を含め、強烈な半日の体験は今も記憶に深い。
グランドキャニオンを展望する観光地では、そこここに「MISSING」の掲示があり、その数のおびただしさに驚かされた。
人は、これほどに激しく厳しい(大いなる自然)を前にすると、畏敬とともに無力感や空虚、恐怖に囚われるのではないか? あるいは、自身を捉えがたくなってしまうのであろうか? あるいは、己が内の、かねての空虚が支え切れなくなるのであろうか? あるいは、この大いなるものに己が身を消失させたいと求めてしまうのであろうか? あるいは、あらかじめ自己消失を求めて訪れ、果てたのであろうか? etcわたくしの中で今も残り、忘れえぬ問いである。
観光を終え、ミニ、ミニ空港に帰航したがしばらくの間、頭も胸も耳も相当に辛かった。小型飛行機での出・着時、身体五感が受ける刺激は大変な負担であったものだ。帰着時には殊にそれが激しかった。
着地後先ずトイレに駆け込み激しく吐いた後、待合室のベンチにたどり着き頭を抱えて座りこんだ。やや立ち直ると、出立時に見知っていたコーナーに行き、セルフサービスでコーヒーを飲んだ。やっと落ち着きを取り戻したように思われた頃、迎えに来た主催「HIS」のバスで市中心地に向かったのである。
日本人も多いバスの車中でホッとするとともに、ふと気づいた。わたくしは手ぶら、我が愛しのフェンディをは傍にない。人けの少なかった小空港の待合室、多分あのベンチでは傍に置いていたはずだけれど、、、、?着地時のショック・疲労が、お馴染み「HIS」バスの迎えに安心のあまり、フラフラと手ぶらでバスに乗り込んでしまったらしい???
お財布他の貴重品は身に着けたミポシェットに持っていたから、緊迫した問題は生じなかった。が、何かと大変だったっけ!あの時の事後処理も!!
したがって、お気に入りの一つだった「あれ」を使用したのは、ほんの1年そこそこぐらい。HISの人が、すぐにミニ空港へ問い合わせの電話を入れてくれたが、あの厳しいロスでモチロン有るわけなかった。
さて、この長年大活躍してくれた愛用のスーツケース。専門店に修理に出せば、費用は別としてまだまだ使えそう。でもここ3年半、ほぼ毎月の大阪行きに利用してきた。体のことを考え、今どきの軽量4輪タイプに乗り換えるのが適切であろう。少しの迷いののち、わたくしはそう決めた。
でも捨てられない。この際終活なんてどうでもいい。綺麗に拭きあげてベッドの下、何やら思い出の品を押し込んで収納しているンボール箱と取り替えよう!そうしよう!
わたくしはベッド下のダンボール箱を引っ張り出した。中身は取捨をしてスーツケースに詰めようと思ったのである。
わがのらりくらりの終活、成功したとは言えない。確かにダンボール箱はフェンディと入れ替わった。しかし中身はほぼ変わらない。おまけにそれらに見入ってしまう大きな時間を費やしたものである。多聞他見するデキゴトだ。
でも懲りないわたくし。悔いはない。収納品に心温まり、元気すら得たように思っている。
それらは、1970年代から90年代にかけての演劇・映画・音楽会・展覧会のパンフレットであった。それと何故かカミュ、安部公房など4冊の文庫本。存在を総て忘れさっていたそれらの山。
ここに無い70年代以前のパンフ類。多分それらは大掛かりなリホームをした92年頃、天井裏に塗り込まれてしまったのではないかしら?例によってのドジで、居住空間矮小問題に対応した天井裏収納庫の存在をすっかりと忘れ去っていたのである。その中に、あの4~5才の息子のデッサンもあるのではないか?
50年ほど昔の、東横線改札口前渋谷の小広場。美大生らしき青年が肖像デッサン画のバイトをしていた。なぜか心惹かれて依頼したら、思いがけぬ真剣さで確か小一時間ほどもかけて一心に描いてくれたっけ!彼に応えてか、負けぬほどに真剣な顔をして静止していた幼い息子。
大切にしていたあまり失ってしまった、デッサン画の中の顔。幼児の一生懸命な眼差しの記憶が蘇る。
老いの回想はキリなく続きそうだ。いい加減にしよう。古いパンフの山を前に、ともかくわたくしは何かしら宝ものを見た感じがしたものだ。ここ15年ほどは滅多にパンフも買わないし。
老いの自覚として、文学をはじめすべての芸術から受ける感動は、その時その場で享受し、記憶に受け止めよう。心に残り、止まるもので良しとしよう。と、考えるようになって居た。老いに伴う記憶力の衰えを受け止めた上での考えである。だから読み終えた本すらも、多く処分してきた。わたくしなりの終活の心構えだった。
わが遊びの系列、経歴であるパンフの山。それらに、いま在るわたくしは育まれて来たのだ。抱え込み、のしかかる生き辛さを紛らわせ、抑えるとともに、発散、妄想し、発想の転換による高揚をも得て生きてきたのである。
すべての芸術に、わたくしは改めて深く思いを捧げた。
そう、かねての信条『遊びをせんとや生まれけん』に、これからもいそしもう。相変わらず運動の一つもしていないけれど、長きにわたる人生を遊ぶため、体力を維持する努力を少しは心がけよう。
渋谷の端から端。結構な距離になるミニシアターでの映画ハシゴの折も、タクシーはダメ。必ず徒歩で移動しよう!!そうせねばならない。などと・・・・(笑)