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2017/6月 ことばに生かされる


 この汚れた大都会にも風わたり、太陽にそよぐ緑はきらめきを放つ。自然がもっとも麗しい季節5月。風邪を引いたのをきっかけに、わたくしはだらだらと貴重な季節を家の中で過ごしてしまった。それなりの日常に対処する気力が持てなかったのだった。

 5月、良くない出来事が重なった。生きていれば誰しもこんな時期はあるでしょう!と、わたくしは半ば居直った。さいわい本を手にすることは出来たし、好みの映画も上映されていたので時には出掛けてどうにか乗り切ったと思える。

 ちょっとした危機を乗り越えたので、月末から姉の顔を見に出掛ける予定も立てた。

 今回はわたくしの苦手とする姉の経済問題にも立ち入り、結構大切な整理を手伝わなくてはいけない。気の重いしごとが控えている。長い低迷は、じつはこの問題との直面を避けているのが大きな要因にもなっていたらしい。その自覚も今は持っている。

 無為に過ごしたかのこの3週間、しかしたぐいまれな豊穣に包まれもした。そう、人が紡いだ(ことば)による世界に心を馳せ、1932年からのヨーロッパ各地を幾十年も経験した。ときにドイツの科学少年となり、ときにフランスの盲しいた少女となって。

 アンソニー・ドーアの長編[すべての見えない光]の類い希な世界をわたくしの非力なことばでは表現しえない。もちろん好みの問題でしょうが、これほどに心深くこころに分け入ってくる作品と出会うと(ウツもまた良きかな)との思いを抱いたりもしたのである。訳者にも深い感謝をささげた。

 映画は恵比寿ガーデンシネマでみた「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と「僕とカミンスキーの旅」
が良かった。ことに「マンチェスター」は地味な共感にこころ浸された。台詞に血が通っている。アメリカでこんな作品が今作られていることにも感嘆する。

 アンソニー・ドーアもアメリカ人作家だ。ささくれた現代をより暗くおびやかす元凶の1つは、アメリカのトランプ氏就任だと思っているが、その国で創られる芸術はまだまだ大丈夫。

 人の魂は、人が宙に紡ぎ出す「ことばの力」美しさによって、まだまだ昂揚されるのだ。
 


2017/5月 のどかな悩み


 この年をして最近、幸運な出逢い合いを重ねてる。
先ず Iさん。先月パリから帰国して個展を開いていた旧友に紹介された。なんと十数年会社員生活を経てシャンソン歌手をめざすことを決意して退社、パリに渡る。以後ソルボンヌ大学で学びつつシャンソン歌手になったとの経歴だ。よきピアノ伴奏者も得て着実に成果も得ているよう。しなやかに強いその生き方にこころ打たれた。

 たぶん、50代後半の彼女とは同じホテルをとっていたが、翌日も行動を共にする成りゆきとなった。会話、行動ともにつかず離れずの距離がほどよく感じ取れる。

 (貴女の歌を聞いてみたい)とその時話したら先日CDが送られて来た。聴くと大人の歌で本人訳の詩(ことば)が特に良い。じつは数十年来日本で歌われるシャンソン、どうも情緒過多の思い入れが過ぎるように感じていた。だからながく離れて居たけれど、今度 Iさんのコンサートが日本であったらぜひ聴きに行こう。

 もう一人の方、Sさん。これはもう奇遇だと思える。かねてアトリエの会員 Oさんから(短歌のお仲間で親しくなった、すばらしい方のお宅にお呼ばれしたけれど、どうも高橋さん宅のすぐ近くらしい。)と聞いていた。

 先月さくらの季節、例年の一人行事で近辺のさくら散策をした。ふと、Oさんが言ってらした「お庭の木々が素晴らしく、藤棚が在る家」の言葉を思い出し好奇心で「藤棚のある家」をさがしつつ歩く。

 このせちがらい時代に、緑のひときわ溢れるそのお宅はすぐ見つかった。そのSさん宅の玄関先の角に当たる路地からは、6Fにあるわがベランダがほぼ真向かいに見取れるではないか!まさに歩いて1分の距離!その日Oさんに「藤棚宅発見」のTELを入れた。

 あれから一ヶ月、Sさんには椿の黒侘助を手折っていただいたり(初めて知る深い紅は、一重で凜と美しい)樹齢60年のあでやかな藤も2度みせていただいた。先日Oさんと共にわが家にお呼びしたら、夕方から深夜2時まで10時間におよぶお酒盛りに相成る始末!!。

 Sさんがお気に入りの大吟醸を抱えて来て下さったのだけれど、残りはほんの1~2合。正直応えたものです。

 ながく生きていると、天性のん気な面があり、かつ抜けているわたくしもさすが(合う・合わない)と相性をみる選別の目は厳しくなってしまう。会話で知る(3人みんな、実によく語った長丁場でしたので)Sさんの生き方はとても気持ちよく、みごとにご自分を持して居られる。

 たしか70代半ばでしょうが意思表示に曖昧さがほとんどなく、しかも相手の考えも充分尊重して居られると感じさせられた。なにしろ器量がおおらかで、自ずと敬愛の念が起きてくる。

 じつは人付き合いでわたくしは2度ほど、ほんとうに辛く不快な思いを経験したことががある。でもそれを相手の所為のみにはしてはいないつもり。{先ず相手の本質・気質への認識が欠けていた。さらにわたくしが相手にどう思われているか?相手にとってわたくしはどんな立場にあるか?}未熟なわたくしはそんな基本に気づいていなかったのだった。

 わたくしには近しい友はほんとうに少ない。その方が生き安かったのだ。そのわたくしが、人生最終章あたりに来て、気質の合いそうな飲み友達を間近に得たように思える。気を付けてたいせつにお付きあいしよう。

 ふと声が聞こえた。「あなた、また失敗しないように」18年ほども前の夕食時、夫の声だ。あれは心許し合う友 H子さんとつき合い初めたころ、嬉しくて彼に話した時だった。その昔、友人関係での手痛い失敗を夫に愚痴ったことがあった。以来新たに親しむ女友達をもっていなかったから、愚かな失敗談を知る夫のからかいと忠告だった。
 
 「栄一さん、今度も大丈夫ですよ。きっと良い飲み友達になれますよ!」ひさしぶりに夫に笑って報告した。嬉しい。

 でも実は大きな問題が残っている。Sさんは猫を7~8匹飼って居られるとのこと。わたくしの弱点は「猫こわがり・猫嫌い」こどもの時から触ることは無論、見るのも怖ろしく避けている。こればかりは気をつけて直るものでもない。

 むろんSさんは猫を怖れるわたくしを了解してくださっている。だから麗しの季節、藤棚の下ガーデンチェアーに座しての先日のつどいは、シャンパンでの乾杯もふくめて最高だった。

 でも会話は盛り上がりを重ね、刻がたち少し冷えてきた。あせりが来たけれどトイレの借用もできない。思わず近くのスーパーに行こうかしら?とも考えた。結局お二人を置いて家に駆け戻り、その後わが家にお迎えしたものだった。

 寒い季節になったらどうしよう?物ぐさでだらしない私生活やっぱり隠したい。つねに門戸開放の器量なんてとても、とてもわたくしには・・・・・・。

 のどかくも厳しい、麗しのこの季節の悩みよ。


2017/4月 エイプリル・フールズ・デイ


 先月九州・沖縄への旅をした。近年の例となった姉との二人旅で。
2週間、ローカル線を利用したり、沖縄への往復は一夜ゆられる船旅。限られた刻を、限られているからこそぜいたくに使った。老人とてなにものかに追われるごとき今の世、ゆるやかに流れる南日本のうつくしい風景にこころ清められたものだった。

 熊本でのことを話しましょう。熊本市は母が女学生までを過ごした故郷、そして羅災した従姉が仮設住宅住まいをしている。遠地だし、わたくしは従姉と長年疎遠になっていたが、姉は母の分まで従姉を心配していた。最晩年の母が突然のようによく語った故郷でのむかし話し。かねてわたくしも一度は尋ねたかった地、熊本。母の命日をはさみ3泊をした。

 先ず半日を母の生まれた土地で過ごす。地形は大きく変わっているそうだけれど、郊外のなだらかな山、大きな川を望む住宅地をただぶらぶらと歩き回る。

 和菓子屋さんの店先のベンチで、ゆっくり酒麹入りあんまんをたべたり、地元のお店を覗いたり、ただに母を追慕するかの徘徊であった。先祖の菩提寺もおとずれた。大きな墓石が崩れ落ちていて震災の酷さが見られたが、行き交う大人やこども達、みなおだやかで礼儀正しい。小学生がみんな「今日は」と挨拶すのに驚かされた。

 美しい母の故郷であった。そのことに心やわらぐ。

 翌日、昔かたぎに粗末な家にむかえるのを羞じ、自身がホテルまで出向くと言う従姉をとどめて仮設住宅を訪れる。

 想像を超える矮小な家に88才の従姉は暮らしていた。居住者の人数によって決められている空間はせいぜい25㎡ぐたいでないかしら?。入ると直ぐにキッチン、流しは45x55cm位、傍にレンジ1台とまな板が置ける程度のコーナー。トイレ・お風呂も押し込んで備えられているが、息をのむ生活場所だ。

 定年までデパートに勤め、結婚もしなかった従姉はしかし気丈だった。(羅災した家は規制で建て直しをせねばいけない、この年齢でそれは無駄だから、期限の1年半先までに何とか良い有料施設をみつけて入ることにしている。けれど、そんな施設も入居希望者であふれ中々むつかしい)とほとんど愚痴もこぼさないのであった。持っていた貸家も失っているであろうに、、、、、。

 緑内障で目はひじょうに悪く、通っていた良医のいる病院への通院は大変らしい。しかし、嬉野に居る妹が姉を気遣ってよく来てくれるとのこと。先行き妹も熊本の姉宅での同居生活を予定していたのだけれど、、、、たんたんと語る。涙は流さない。

 その約3時間の間、彼女はずっと正座していた。70代から膝が悪かったが水泳指導を受け、クロールなども出来るようになりどんどん良くなっていたとのこと。姉とわたくしは、ただに感じ入るのみだった。この真っ直ぐな靭さはどこから沸き出でるのか!さらにこの穏やかなものごし!!

 そう言えば従姉は長女。母のたった独りの兄であった父も早くうしない、戦後のわが姉以上にあのくるしい時代を生きたことであろう。少女時代から伯母の片腕として家族を支えたに違いない。

 当初わたくしは訪問すべきかどうかためらっていた。震災後(お母さんが生きてらしたらどんなに心配なさるか・・・・)と言う姉を見舞金ですませ、今まで止めていたのだった。裏のバス停まで杖を支えに、従姉は見送ってくれた。

 何ということでしょう。見舞いに行ったわたくし達こそ励まされて帰った。今では姉との合い言葉は {徳枝さんのことを思うと私達の問題なんて!}。凛として生きている人の清々しさ。わが従姉ながら深く尊敬している。

 かねて思っていた。わたくしの様な気ままな生き方をしていると、問題になっている(孤独死)なんて当たり前の事柄。そう、自由は躯の中をヒユー、ヒューッと風が吹き抜けるような孤独を知ってこそ得る(わが世界)だ。それに、究極として(死)は独りでむかえるものでしょう、孤独なのは当然。わたくしなりの覚悟はできているつもり・・・・。と。

 今日、ひとつ実行した。尊厳死教会に入っているわたくしは外出時いつも(会員証)を携帯している。息子や掛かり付け医院にもそれは強く伝えて居た。でも、かねてこれでは不充分だと気懸かりもあった。

 先ず、折良く届いて居た会報の表紙裏面(尊厳死の宣言書)部分に自身の会員ナンバー・署名等を明記した。それをカットして透明にファイルする。それをブルー・リボンでちょっとお洒落させ、玄関ドァの飾り付けハンガーに吊した。何事かのおり、此処なら否応なしに目に入るでしょう。けっして陰鬱な圧力をかもすことなく小さなアクセントに止まっている。それも確認した。

 偶然のエイプリル・フールズ・デイ。たのしい仕掛けをしたようで何かしら心軽やかだ。


2017/3月 タルコフスキーを巡る


 数十年ぶり、映画館でのタルコフスキー鑑賞だった。未見に終わっていた[惑星ソラリス]が観られるのだ。
入館してまず観客の多さにおどろいた。老若男女を問わぬ観衆でほぼ満席の中、呪縛されたかの3時間であった。

 映画史上名高いSF映画であるが、ひと言でいうと哲学する映像だと思った。たぐい稀な美と静謐感を画面は、不意にブリューゲルの雪世界を再現したりする。自然も人も動物たちもスクリーン内で儚く存在して消滅する。釘付けになったこの長まわしのシーン、気づくと眼がにじんでいた。

 この映画に関して感想はのべまい。おそらく人によって受け取りかた、評価も大きく分かれるでしょう。
72年剬作を前提としても彼の作品はおそろしくテンポがゆったりと展開する。だから先ず「退屈」の声が聞こえそう。しかし、前記のように否応なしに哲学させられる映画なのだと考えている。

 わたくしはこの映画をスクリーンで見るよろこびに幸福を感じた。渺渺と宇宙にただよい、この世界の中での人の営み、自分自身を「孤独」な視線で見放すようにみつめた透徹の3時間。静謐がみずからの中にも満ちてくる。タルコフスキーの象徴である、美しくおびただしい水のように。

 つづけて[鏡]に入る。[惑星ソラリス]ほどではないがこちらも大入り。老男が多めかしら。
厳しいソ連統制下にあって、やっと前作[惑星ソラリス]が世界に放たれ[鏡]は75年作とあった。
たぶん77年だと思う、わたくしがタルコフスキーとこの作品ではじめての出逢ったのは・・・・。

 前作よりさらに哲学的難解の度を深めているが、再びの[鏡]はやはり圧倒的にうつくしい。わたくしは[鏡]を長編詩のように鑑賞した。じっさい、セリフの少ない画面に彼の父、著名なウクライナ詩人の詩が彼の声で繰りかえしながれる。

 鏡に投影する、計り知れぬ過去と今。すべてが鏡の様に写し合い、ときに遡り不意な反転をも繰り返す現世(うつしよ)。それを見つめている主人公(タルコフスキー自身であろう)の眼。夢や追想は反転・反復・反射を重ね、画中で時は4世代を脈絡なく交差し浮遊するのであった。

 (文字とおり横たわる若き日の母がベッドで浮上する画面が数秒あり、昔のわたくしはその美しい表現に衝撃をうけたものだった。あれは世界をもどよめかせたらしい)

 ともかく人は想像力をかきたて、思考を研ぎ澄ます深みに導かれる。そのかたわら、夥しくも静謐な美そのものに心うばわれる。ほとんど酔わせようと韜晦をしかけてくるかのよう!。どこを切り取ってもたぐい稀な映像美!。とわたくしは感じる

 上等な半日だった。ゆたかな心で帰途につく。たしかにどこか酩酊の心地があった。

 前述したように初めて[鏡]を観たあの日、わたくしは興奮した。帰宅するとたしか高一生だった息子に[鏡]の素晴らしさを激賞して聞かせたものだった。血のせいでしょう彼もすぐ反応し、直ちに観たようだった。折から期末試験中だったと言うのに、、、、。その記憶がある。

 そして今、あれから37〜8年。息子はその後自身で選び法科にすすんでいたが、就活時期、親に申し出てきた。「映画監督になりたい。その道に就職したい」と。夫の失望は大きかった。ずっと目をかけて下さっていた中学時代の師の影響もあり、彼に別な期待を大きく持っていたらしい。「あれは君の影響だ」と、ひと言1度だけだったが、わたくしもなじられた。

 夫の落ち込みはしばらく続いた記憶がある。でもわたくしの方はあまり驚かなかった。やっぱり・・と感じた。あの頃の息子なんて他愛ないもので、わたくしには心のうちまで透いて見えるような存在だった。進路に悩んでいるのが見取れる日々がずっと続いていたから・・・・。

 具体的な見聞も例にあげた上「芸術を目指すのは、もしかしたら一生貧乏にすごし、結婚生活もこわれたりするかも知れない。そんな覚悟も持てるなら」とのみわたくしは言った。
その道に就職後2年ほどして家を出るまで、わたくしは彼から在宅費を容赦なく徴収したものだった。

 以来映像の世界で生活し、彼のメールアドレスには当初から「tarukofu」の文字が入っていた。現在もしがないテレビ・ドラマの世界でプロジューサーをしているが、たまには良い作品をつくる。夫が逝く数ヶ月前のお正月、彼が企画からはじめた作品はNHKで放映され、それは夫をとても喜ばせていた。

 失った夫との時を思うとき、この最期のお正月の出来事は悪妻であったわたくしの心をすこし休めてくれる。

  同世代人であるタルコフスキーとは畏れながら共通事項がある。[鏡]で前庭で少年時代の彼がめくるのはダビンチの画集。その後、木立からの風のざわめきが置かれた画集のデッサンをそよがせる。これも自然と心象の描写として実にうつくしい場面だ。

 今回もまた思った。(あの画集わたくしは見ている)子ども時代、家の本棚をわたくしは貪っていた。たぶんドイツの製本だった。むかし、父が旅した折持ち帰ったと思われるたくさんな画集の中の1冊。ややセピアがかった古い本を同時期にわたくしも大連で見ていたのだ。再びそれを思う。

 あれらの本やトランクに収まっていた絵はがきのせいか、こども時代からわたくしは言わば西洋かぶれだったのだ。

 むろん比較するわけではないが、彼もあまりロシア的でない部分が大きい。正教徒であるが思想はかなり西欧的であったと読み受ける。やはり父親の影響らしい。その父との幼時の離別。貧窮の生活。戦争。現在進行中の自身の離婚問題。ソ連統制下の表現に苦闘を強いられるが、その抵抗はしたたかで強靭だ。

 [鏡]の影響によるか、タルコフスキーを巡りわたくしの中で飛翔する思考の反射、反復、遡行、の繰りかえしは尽きない。春未だし、夜は長いけれど困ったものだ。


2017/2月 疾風怒濤の逃げ月入り


 2月入り、それはわたくしとしては正に疾風怒濤のごとく展開した。と言えよう。年頭に決心していた。今年は区の税務相談日に資料を準備して出掛け、自身で確定申告の記入、提出を果たそう!と。

 じつは夫が亡くなった年、税理士さんに依頼して申告をしていたがその後は「申告するほどの収入も無いわけだから良いんじゃないかしら」と都合の良い言い訳をして長年、横着を決め込んでいたのです。恥ずかしい実情であった。

 築後4半世紀近い所有アパートは、大きく手入れを予定していた夫が急逝ののち、費用がずいぶんと掛かった。さらにその半分は義理の息子に進呈している。「年金は少ないし、税金がかかるほど大した収入ではないでしょうから」と横着を決め込んでいたことをここに告白します。

 2月1日、電車に乗って等々力駅まで出掛けた。区の出張所は駅のすぐそば、しかし相談者は大勢で順番待ちが長列をなしている。担当者も12~3人は居て、持ち時間30分と決められていた。腰掛けてすぐ、わたくしは熱心に準備していた収入と支出の領収書、その集計書を忘れてきている事にきづいたのだった。
(気を引き締めて臨もう)とあれほど決意して用意したつもりだったのに、このざま、、、、。

 けれど直ぐ思い直した。(わたくしの申告そんなに簡単なものではなさそう。今日は率直に実情をのべ相談するのみにしよう)と。

 そして正にその通り、担当の若い女性税理士さんとのやりとりで、最後に申告を果たした年からの現状報告。いかなる書類を用意、整備すべきか等々のテキパキした助言を得て終わってしまった。

 纏めるべき事務、それはわたくしから見ると大変やっかいな大仕事に思える。おそらくは再び夫が委ねていた会計事務所におねがいする事になるであろう事も予感されて、30分は終了した。

 でも1つ大きな問題のメドが立った、少し前進させたのだ。おもてに出たら駅前小公園に面する小さなスタンドがあった。店先でコーヒーとたばこに寛ぐ。ささやかな達成感もありホッとする。すると、餌をもとめてなんとセキレイがすぐ傍らまで来た。愛らしい。「今日から来ている」とお店の人。ラッキー。

 自由が丘駅までさんぽがてら歩くことにして途中郵便局により、送金と記帳をすませた。後に待つ人がいたので椅子にかけて通帳を確認する。と、すごく嬉しい発見があった。昨年のアイルランド行き費用をカード支払いで姉に立て替えていたがその入金がされていたのだ。

 お正月訪問した折、用意すべきだったのに姉はお金を下ろし忘れていた。その謝りも込められていたのでしょう、振り込み額は思いっ切り弾まれていた。わたくしにとっては思いも寄らぬ大金である。「嬉しーいっ」飛び上がらんばかり喜んで通帳をしまう。

 気持ちうららかに、ひさしぶりの自由が丘の街をめぐり、用も足すと(モンブラン)で10年ぶり位のお茶をしてバスに乗った。よく働き、思わぬ収入も得てとても心地よい。

 車中お財布をバックに戻す折、フト気づいた。「あっ、お決まりの通帳用長財布がないっ」姉からの気前のよいお小遣いに大喜びをしたわたくし。その通帳のみをいつもの(全財産管理収納用布製小ケース)に入れて立ち上がっていたようだ。

 帰宅後郵便局をしらべ電話したがもう6時半、通じない。最寄りの警察にも。だが届いていなかった、、、、。
わたくしは昔から忘れ物、落とし物の絶えない人だった。でも年を経てやっと自覚もふかまってきていた。

 特に近年は、しっかりしていた姉の捜し物の多さを見ていて自戒を深めていたつもりだった。もっとも大切な数冊の通帳、キャッシュカードはすべて長財布に入れていた。それを健康保険証とともに、手製の絹の小ケースにひとまとめにして常用していた。

 小ケース内はほぼ全財産の証。[わたくしは自身の管理能力に的した方法で、巧く管理している]と内心自惚れていたのだ。

 落ち込んだ。心配だった。まさか悪用はされないでしょうが、、、、???。もう食事どころではない。不安が増してオロオロするのみ。と、携帯がなった、息子からだった。とびつく!

 この際みっともないけれど話してしまいましょう。じつはわが息子、お金は在るだけ使ってしまう性質だ。だから毎月のアパート収入金の内本来彼に支払うべきお金を、通帳・カードごと、わたくしが預かり保管してきている。それもムロンあの長財布の中に管理していた。

 彼の抱えるしごと、連続テレビ・ドラマは4日からはじまる。プロジューサーとして時間に追われているにちがいない。その彼に(通帳紛失したから何処かから連絡が入るかも・・・)とは伝え得ずにいたのだ。

 「携帯に留守電が入っていて、、、、」と彼が言った。溜まっていた不安を噴出させて、わたくしは今日の出来事を報告する。と、こんな親を持つと人間も出来て来るのでしょう、慌てずさわがず笑って済ませてくれた。

 本人が近日中に等々力まで赴き受け取る。その後、わが家にも立ち寄ってくれるとのことで解決した。一件落着、2月1日なんとか無事終了。

 2日、友人と渋谷で待ち合わせ映画を観る約束日。逢う前に一仕事済ませたかった。じつは渋谷警察署に落とし物をうけと取りに行く必要があったのだ。数日前、映画館に落としていた手帖が署に届けられ連絡を受けていた。実は渋谷警察署の落とし物窓口なんて数10年来のおなじみ。自慢じゃないけれど電話番号だってわが家の電話帳には記入してある。

 ちなみに、利用バス会社の各営業所電話番号も控えているし、時に出番がある。問い合わせをする時には思わず声を変えたくなったりするけれど。

 逢う前に済ませ得なかった手帖受け取りを、友と一緒に赴いて済ませた。呆れつつも面白がって参加してくれた彼女だった。それから映画館にむかい近道をと、ヒカリエ・ビルを通り抜けて舗道にでる。風の強い日でビル風が真っ向から向かって来る。ストールや帽子を押さえこみつつ先を行き、フトふり向くと友がいない。あわてて引き返したら出口ちかくに佇み、空を見上げているではないか!

 スカーフが木の枝高くはためいている。風に奪われたのであった。彼女を警察にまで付き合わせ、ビル風すさぶ通りに引き出したわたくしの責任だ。木の下に友を待たせるとわたくしは、(東急・ヒカリエビル)さんの誠実さに賭け、事務所を求めて駈けだした。

 あの素敵なカシミア・スカーフ、高価だった。「求めるべきか、諦めるべきか」でひとしきり悩んでいた去年の彼女をわたくしは知っている。何とかして手元にもどして上げなくっちゃ!!

 長くなるから経過ははぶきます。舗道への別な通路と混合したり紆余曲折を経ての結果、約30分後に脚立に乗ったカフェのウエイターさんによって無事手もとへと・・・・。名も答えなかったさわやかなあの若いウエイターさん、「ありがとうございます」とドァに消えるまで見送るのみの二人でした。

 以上、まったくお粗末なこの2日間、疾風怒濤の2月入りでした。ご静聴?を感謝します。

ご報告
その後、ドキュメンタリー映画(ホームレス、ニューヨークと寝た男)を興味しんしんで観た。すると、ご本人マーク・レイが一郭でサインに応じるとのアナウンス。もちろん小冊子を購入してサイン貰いました。6年間ニューヨークの4階建てビルの屋上をねぐらに、格好良く(ここが肝心で、すごいところ)信念を持って自由に生き抜いた人です。現在57才、188 cmファッションモデル上がり、ミーハーの血は騒ぎました。ちなみに観察してみましたが彼は笑顔をむけ、肩に手をまわして写真にも気軽に応じていますがけっして、1度もファンの誰とも握手をする事はありませんでした。その事がとても胸に沁みました。



2017/1月 今年は「期待を抱いて生きよう」 


 開け放たれた2017年。とても遅ればせなんですが「お目出度うございます」と改めて言葉にします。
そうすることで、少しでも良い年であるよう「期待」を持ちたいと考えたからです。

 長年、世界特に日本は滅びに向かっていると思っていた。けれど一方では各方面,優れた知者達の力で、何とかそれを防ぎ助かる道が見出されるのでは!との思いも捨てていなかった。孫も持たぬ気軽な老人としてエゴに徹し「わたくしはいずれお先に失礼します。みなさま大変でしょうが、何とか後はよろしく頑張って・・・」と10年ほど前当欄に書いた覚えもある。

 未来を考えることから逃げていた。ずっと、それで済ましていた。

 でも作年末の晦日、映画館で出会った言葉「期待を抱いて生きること、それはつまり幸福であるということなのだ」には考えさせられた。予告編で見たパリの高校での授業風景。そこで哲学講師である女主人公が、アランのこの言葉を講じていた。一瞬のシーン、その一言がとても気になって帰宅後、哲学者アランの「幸福論」をネットで調べてみた。以下一部を引用させて戴く。

 「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」

 「気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す」

 「ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである」

 「人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤ったり、無駄な心配をしたり、絶望したり、意気消沈するような言葉を、自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ」 等々。

 わたくしの様な感傷に流され易い人間には思い当たること多々。偉そうに言わせてもらえば、50才前からの4~5年苦しんだウツ状態期に大いに気づいた事柄でもある。当時はその気づきゆえ更に自分に絶望し、悔い、落ち込んだものだけれど、、、、。

 しかし今日まで興味をもたなかったアランの「幸福論」に俄然したしみを覚えた。明日は本年初の映画鑑賞に出掛けるつもり。ついでに忘れず、本年初の購入本として「幸福論」を求めよう。映画や演劇鑑賞にいそしむため、出掛ける習慣。慣れ親しんだ遊びのこの行為、それとて勝手ながら、思考し行動する時間と言えよう。

 大げさに発展させると、自身の残された未来を投げやりにしない事は、日本のそして人類の望む未来に期待を持って生きることに通じると思える。さぁ、「期待を抱いて生きる事を諦めず、理性的な思考を持って過ごす日々」を年頭に心して刻もう。大義名分も成り立ち、大手を振って遊べるのも嬉しい。??

 さて、大晦日から昨日まで姉と過ごした丸1週間、ほんの聞きかじりの「幸福論」豆知識を転居鬱?に落ち込みがちな姉にも話した。どうにも過去へのこだわりが強く、グチっぽく見受けるのである。元来わたくしよりずっと理性的な人であったのに、、、。しかし本質がそうだから考え方としての共感はすぐ得られた。自身を省みる様もおおきく見受けた。

 しかし、とにかく物忘れによる探し物が多かった。ある夜、翌日支払う予定の貴重な現金が失せて(と思って)2人して2時間あまりを費やして探し廻った。真夜中なので衰えた視力もよけい働かない。ラスト、通帳確認等をうながした結果、思い違いで姉は年末に用意すべく、大金を降ろしていなかった事が判明した。がっくりと疲労した。しかし安心した。

 本人も認め怖れている脳の衰え。ボケ予防には歩くことが一番と言われている、ことに山歩きが趣味だった姉は散歩を信条としている。自身の思い違いに落ち込んでいる姉にわたくしは言った。「あーぁ、今日は何時間もぜーんぶの部屋をあちこち探し廻ったから、ずーいぶんと歩いたわ。ああでもない、こうでもないとアタマも凄く使ったし、これで脳の衰えた分、みんな取り戻して快復したんじゃないかしら!」2人して大笑い!

 正月五日、今年何度目かの高笑いをする老姉妹の行く先は暗いか明るいか?
いえ、せめて自分の周辺の出来事は自らの責任、結果であることを自覚し得るよう、自覚し続け得るよう「期待を抱いて生きよう」