先ずのご報告です。わたくし達老姉妹、無事にアイルランドへの旅から帰国いたしました。
帰国してちょうど1週間ほどを経て、やっと疲労から抜け出した感を得た。何はともあれ、渋谷で映画を!
例によって2本をハシゴする。1本は駄作だと思ったけれど、張り詰めたこころにやっと日常が戻ってきた感覚。以来「マイペース」を手元にたぐり寄せたようだ。やっぱり映画は観なくっちゃ!
さて、以前からアイルランドと言う国は、観光に誘われる地と言うより、わたくしの中でどこか聖地のような憧れの対象になっていた。それは先ず、近代文学の開祖と言える J,ジョイスをはじめ、B,ショウ・S,ベケット・O,ワイルド等々列挙し得ぬ巨きな作家に対する、わたくしの長年に渉る畏怖の念がある。さらに映画、演劇でずいぶん多く馴れ親しんできた国であった。
今回旅立つ前の下調べはほとんど、ホテル・交通・気象等に関するネット情報のみであった。それに「地球の歩き方」とS藤講師からいただいた「アイルランドへ行きたい」を持参した。不用意でしょうがわたくしが最も頼りにしたのは、自身の中で培われていた直感的な諸々のアイルランド考察や雑学。さらに、今までの外国ひとり旅経験。大胆にもそんな漠としたそれをのみ頼りとして発っていたのである。
何しろ飛行機に乗り込むまで、果たして行けるかどうか?と心労が絶えぬほどに姉の心身は損なわれていた。転居後はじめての夏に、クーラー嫌いの姉は室温調整もままならず、ひどく弱音を吐いていた。だからわたくしにも改めて下調べをする意欲も持てなかったのだ。
日数のみ余裕を持たせた3週間の旅。すべて、その日その日の姉の体調まかせと決め、往復航空券と着日から4日間・帰国前の2日間のホテルを確保したのみで発ってのだが、結果は次ぎの通りとなりました。首都ダブリン8泊・西海岸の大きな都市ゴールウェイ8泊・国立公園に面するコネマラ3泊・ダブリン空港近くで2泊。
ダブリン及びゴールウェイでは現地主催のディ、ツアーに各2日、計4日参加。その他は、姉の体調の良い日の徒歩の散策をはじめ、市電・市バス・市内観光バス・市内観光ミニ電車等に乗って廻ったものだった。 旅の最終3日間はのんびりと海、と田園の自然美に包まれた辺鄙な地、コネマラのアイリッシュ・カントリーハウス・アンド・レストラン過ごした。
このキャッセルホテルでは到着日に先ずタクシー観光を進められた。他に便はないのだから翌日から午後の3~4時間を2日続けて利用した。これがとても愉快だった。約束時、空気に花々の香りが馨しくそよぐホテル前庭のベンチで待っていたけれどいっこうに現れない。その内ホテルからフロントの女性が飛び出して来た。(ドライバーが20分待っている・・・)と車に案内される。
なんとそれは個人の車で、わたくし達を待っていたのは70才くらいの女性ドライバーだった。その人は20分ほど前、近辺を散歩して帰って来た時にちょうど車を乗り入れて先を行く姉に声を掛けていた。「何て話していたの」と聞くと「観光に来たのか?」と聞かれ、そうだと答えたと言っていた。駐車場に車は多く客同士顔を合わせると挨拶は常だったから、そのドライバーも車で訪れている相客とばかり思っていたのだ。彼女も「貴女たちとは思わなかった」お互い笑う。
その内判って来た。どうやらホテルは近在の人々とアルバイト契約をしているのだ。週末とあって当初お目当てのホテルは取れず、手持ちの「アイルランドへ行きたい」に特記されていたハウス、ホテルを選び、ゴールウェイのホテル、フロントを通じて予約を取っていた。その折の約束通り、バス到着時に迎えに来ていたドライバーは無骨な小父さんだった。
辺鄙な田舎町なので、若し迎えがなかったら?と車を認めるまで不安だった。嬉しくってチップを弾んだらひどく遠慮がちに受け取り、礼を言っていたっけ。(あーあれ弾み過ぎだった)
この女性ドライバーにはその後指名して2日間世話になった。口数少ないしっかりした人で、観光地のショップでは共に買い物をしていた。見せてもらった小さなTシャツから2児の祖母である事も知らされた。出立日の朝バス停まで送ってくれたのも彼女だった。こちらが見積もったバス出発に合わせた時間を(若し道が混んだら?)とホテル側に15分早めるように申し入れをする心配りも見せてくれた。
じつは旅の会計役でもあるわたくしは、長時間の借り切りに相当な費用を予想していた。でもチェックアウト時の精算では驚くほどの安さであった。タクシー代総計たしか4万円に満たなかった筈だ。
お決まりの観光については省かせていただく。毎日のような突然の雨、そして風。一日の内にも気象は激しく変った。その自然の厳しさは持っていた覚悟をしても、しばしば脅かせられたものだった。でもそれを超えてなお、海、山、川、湖、田園、それらスケールの大きく伸びやかな自然美の素晴らしさに魅了されてしまうのであった。
さらに街も美しい。ダブリン、ゴールウェイ両市もそれぞれ異なる美しさを見せていた。たぶん制限があるのでしょう、高層ビルはまったく少ない。各家、建物の色調、すべての佇まいが実にうつくしく調和が取れている。なんと言うか等身大の美しさを見せているのだ。
この国の人々はそうとう冷え込んできていると思われる日でも窓は多く開放されていた。ツイ、のぞきこむ様に見入ってしまう窓辺から推察する市民の日常。そこから、人々が日々を心豊かに堅実に過ごしている様子が充分に見て取れるように感じたものだ。
食事も野菜、肉等が実にしっかりした味をもつていた。さらに何よりも感じたのは、お国柄としか思えぬ人々のシンプルな親切心である。これは予想外、予想をはるかに超えた事柄だった。
正直あの厳しい自然や歴史の中で、長く内外から揉まれてきた国の人々がこんなにも心優しいとは思っていなかったのである。
昨年アイルランドに取材旅をされたS井講師は、電話での会話で「同感だ。長い間揉まれ苦しんで来た人々の持つ優しさだろう」と言われた。彼の地を長年のテーマとして居られるS藤講師も「そうでしょう。そうでしょう」と、弾んだ声で同意なさる。
わたくしには今回 S藤氏の、彼の地に寄せる深い思念が大分理解されたように感じられる。気象、風景、あの変容の大きな自然が持つ(厳しい美)それに対峙し、接していると、畏怖の念が自ずと生じて来るのであった。
氏のモチーフであり続ける地は、広場のベンチでたばこを吸っていても過ぎてきた人生・これからの道等、応えのない永遠の問いをわたくしに掛けて来た。
術もなくただにそれと向き合い、こころの周辺をまさぐるのみであったが、今もその気配は深く浸透している。
さて、彼の地でのある日、ツアーバスの出立地に向けて急いでいるわたくし達に行きずりの老婦人が「何処に行くのか」と尋ねてきた。前日わたくしはその場所を確認していたが、後からくる姉がモタモタしているので振り返りつつ不安げな顔をしているのを察して下さったらしい。答えると突然自ら先頭に立って走り出した。まだ時間に余裕はあったが先を行き、運転手さんにどうやら私達が来ると伝えて居るようだった。ご自身も決してお若くは無いのに・・・・・。
その他、街角で戸惑ったり、尋ねたりする都度あたたかい対応をしてもらった。中には新鮮なマーケットを教えて下さる次いでに、今求めて来たオリーブの実を袋ごと下さろうとした方もいた。ご辞退したけど嬉しかったなァ。
日本人かと声を掛けられた事も2~3度。姉妹で写真を撮られた事も1度。良い思い出ばっかり!
姉は「今まで行ったどの国よりも好きになった」と言っている。やはりあの自然の美しさと人々のお人柄に魅せられたようだ。「出来ればもう1ど来たい」と暢気にのたまう。あの、温室のように層ガラス角部屋の姉のダイニングルームの夏はたしかに厳しい。「避暑に来たら」とわたくしも半ば本気でからかう。
失敗談もむろん沢山〔次回お話しましょう)でも J・ジョイスゆかりの地は随分と巡った。小説「ユリシーズ」発端の地であるマーテロー塔にも上り、念願が事が叶った。(現在はJ・ジョイス記念館となり、当時の再現、保存がされていた)
そしてこれも憧れの彼方であった壮麗なトリニテッド・カレッジ図書館。16世紀建立いらいの建物に入るとわたくしは思わずでは笑み崩れてしまった。美しい空間に収まれた美しい書物棚の集合!!その中にいると、そのあまりにも優美荘重な美しさに言いしれぬ幸福感が満ちてくる。あぁ。
見ていると入館者で本好きな人は直ぐ判った。わたくし同様わき起こる歓びの笑みを顔に溢れさせているのであった。
それから、ジョイスの通ったパブで2度食事もした。アール・デコの佇まいが残る店で他の人々を見つつの食事は美味しく楽しかった。等々等。
えぇ、ときに、人生は素晴らしい!!!