2月入り、それはわたくしとしては正に疾風怒濤のごとく展開した。と言えよう。年頭に決心していた。今年は区の税務相談日に資料を準備して出掛け、自身で確定申告の記入、提出を果たそう!と。
じつは夫が亡くなった年、税理士さんに依頼して申告をしていたがその後は「申告するほどの収入も無いわけだから良いんじゃないかしら」と都合の良い言い訳をして長年、横着を決め込んでいたのです。恥ずかしい実情であった。
築後4半世紀近い所有アパートは、大きく手入れを予定していた夫が急逝ののち、費用がずいぶんと掛かった。さらにその半分は義理の息子に進呈している。「年金は少ないし、税金がかかるほど大した収入ではないでしょうから」と横着を決め込んでいたことをここに告白します。
2月1日、電車に乗って等々力駅まで出掛けた。区の出張所は駅のすぐそば、しかし相談者は大勢で順番待ちが長列をなしている。担当者も12~3人は居て、持ち時間30分と決められていた。腰掛けてすぐ、わたくしは熱心に準備していた収入と支出の領収書、その集計書を忘れてきている事にきづいたのだった。
(気を引き締めて臨もう)とあれほど決意して用意したつもりだったのに、このざま、、、、。
けれど直ぐ思い直した。(わたくしの申告そんなに簡単なものではなさそう。今日は率直に実情をのべ相談するのみにしよう)と。
そして正にその通り、担当の若い女性税理士さんとのやりとりで、最後に申告を果たした年からの現状報告。いかなる書類を用意、整備すべきか等々のテキパキした助言を得て終わってしまった。
纏めるべき事務、それはわたくしから見ると大変やっかいな大仕事に思える。おそらくは再び夫が委ねていた会計事務所におねがいする事になるであろう事も予感されて、30分は終了した。
でも1つ大きな問題のメドが立った、少し前進させたのだ。おもてに出たら駅前小公園に面する小さなスタンドがあった。店先でコーヒーとたばこに寛ぐ。ささやかな達成感もありホッとする。すると、餌をもとめてなんとセキレイがすぐ傍らまで来た。愛らしい。「今日から来ている」とお店の人。ラッキー。
自由が丘駅までさんぽがてら歩くことにして途中郵便局により、送金と記帳をすませた。後に待つ人がいたので椅子にかけて通帳を確認する。と、すごく嬉しい発見があった。昨年のアイルランド行き費用をカード支払いで姉に立て替えていたがその入金がされていたのだ。
お正月訪問した折、用意すべきだったのに姉はお金を下ろし忘れていた。その謝りも込められていたのでしょう、振り込み額は思いっ切り弾まれていた。わたくしにとっては思いも寄らぬ大金である。「嬉しーいっ」飛び上がらんばかり喜んで通帳をしまう。
気持ちうららかに、ひさしぶりの自由が丘の街をめぐり、用も足すと(モンブラン)で10年ぶり位のお茶をしてバスに乗った。よく働き、思わぬ収入も得てとても心地よい。
車中お財布をバックに戻す折、フト気づいた。「あっ、お決まりの通帳用長財布がないっ」姉からの気前のよいお小遣いに大喜びをしたわたくし。その通帳のみをいつもの(全財産管理収納用布製小ケース)に入れて立ち上がっていたようだ。
帰宅後郵便局をしらべ電話したがもう6時半、通じない。最寄りの警察にも。だが届いていなかった、、、、。
わたくしは昔から忘れ物、落とし物の絶えない人だった。でも年を経てやっと自覚もふかまってきていた。
特に近年は、しっかりしていた姉の捜し物の多さを見ていて自戒を深めていたつもりだった。もっとも大切な数冊の通帳、キャッシュカードはすべて長財布に入れていた。それを健康保険証とともに、手製の絹の小ケースにひとまとめにして常用していた。
小ケース内はほぼ全財産の証。[わたくしは自身の管理能力に的した方法で、巧く管理している]と内心自惚れていたのだ。
落ち込んだ。心配だった。まさか悪用はされないでしょうが、、、、???。もう食事どころではない。不安が増してオロオロするのみ。と、携帯がなった、息子からだった。とびつく!
この際みっともないけれど話してしまいましょう。じつはわが息子、お金は在るだけ使ってしまう性質だ。だから毎月のアパート収入金の内本来彼に支払うべきお金を、通帳・カードごと、わたくしが預かり保管してきている。それもムロンあの長財布の中に管理していた。
彼の抱えるしごと、連続テレビ・ドラマは4日からはじまる。プロジューサーとして時間に追われているにちがいない。その彼に(通帳紛失したから何処かから連絡が入るかも・・・)とは伝え得ずにいたのだ。
「携帯に留守電が入っていて、、、、」と彼が言った。溜まっていた不安を噴出させて、わたくしは今日の出来事を報告する。と、こんな親を持つと人間も出来て来るのでしょう、慌てずさわがず笑って済ませてくれた。
本人が近日中に等々力まで赴き受け取る。その後、わが家にも立ち寄ってくれるとのことで解決した。一件落着、2月1日なんとか無事終了。
2日、友人と渋谷で待ち合わせ映画を観る約束日。逢う前に一仕事済ませたかった。じつは渋谷警察署に落とし物をうけと取りに行く必要があったのだ。数日前、映画館に落としていた手帖が署に届けられ連絡を受けていた。実は渋谷警察署の落とし物窓口なんて数10年来のおなじみ。自慢じゃないけれど電話番号だってわが家の電話帳には記入してある。
ちなみに、利用バス会社の各営業所電話番号も控えているし、時に出番がある。問い合わせをする時には思わず声を変えたくなったりするけれど。
逢う前に済ませ得なかった手帖受け取りを、友と一緒に赴いて済ませた。呆れつつも面白がって参加してくれた彼女だった。それから映画館にむかい近道をと、ヒカリエ・ビルを通り抜けて舗道にでる。風の強い日でビル風が真っ向から向かって来る。ストールや帽子を押さえこみつつ先を行き、フトふり向くと友がいない。あわてて引き返したら出口ちかくに佇み、空を見上げているではないか!
スカーフが木の枝高くはためいている。風に奪われたのであった。彼女を警察にまで付き合わせ、ビル風すさぶ通りに引き出したわたくしの責任だ。木の下に友を待たせるとわたくしは、(東急・ヒカリエビル)さんの誠実さに賭け、事務所を求めて駈けだした。
あの素敵なカシミア・スカーフ、高価だった。「求めるべきか、諦めるべきか」でひとしきり悩んでいた去年の彼女をわたくしは知っている。何とかして手元にもどして上げなくっちゃ!!
長くなるから経過ははぶきます。舗道への別な通路と混合したり紆余曲折を経ての結果、約30分後に脚立に乗ったカフェのウエイターさんによって無事手もとへと・・・・。名も答えなかったさわやかなあの若いウエイターさん、「ありがとうございます」とドァに消えるまで見送るのみの二人でした。
以上、まったくお粗末なこの2日間、疾風怒濤の2月入りでした。ご静聴?を感謝します。
ご報告
その後、ドキュメンタリー映画(ホームレス、ニューヨークと寝た男)を興味しんしんで観た。すると、ご本人マーク・レイが一郭でサインに応じるとのアナウンス。もちろん小冊子を購入してサイン貰いました。6年間ニューヨークの4階建てビルの屋上をねぐらに、格好良く(ここが肝心で、すごいところ)信念を持って自由に生き抜いた人です。現在57才、188 cmファッションモデル上がり、ミーハーの血は騒ぎました。ちなみに観察してみましたが彼は笑顔をむけ、肩に手をまわして写真にも気軽に応じていますがけっして、1度もファンの誰とも握手をする事はありませんでした。その事がとても胸に沁みました。